引き継がれる“決意”〜釧路最終戦にかける、重野駿佑選手の思いとは?
アジアリーグアイスホッケー2018-19シーズン、プレーオフファイナルの第1戦は2−1という僅差で、サハリン(ロシア)が日本製紙クレインズを下し、1勝目を挙げた。
その第1戦でも体格面で優位に立つサハリンの選手に対して、真っ向からぶつかっていき、アタッキングゾーンで相手選手を追いつづけてパックを奪い、味方へ繋げるプレーを随所に見せていたのが、クレインズの重野駿佑選手だった。
194㎝の体躯は、大柄なサハリンの選手と比べても引けを取らない。
背番号18はある意味で泥臭くリンクを駆け巡り、戦いつづける姿勢を釧路のファンに見せている。
釧路で生まれ育ち、釧路江南高校から中央大学へ。中大では関東大学リーグ、インカレ優勝に貢献し、日本代表にも選出された。
その逸材は大学卒業後、迷いなくクレインズへの入団を選んだ。
父の勇姿が目に焼き付いていたからだ。
重野選手の父、賢司さんは1980年代の日本リーグで主力として活躍した名選手。沢崎晋司選手や角橋兄弟とともに十条の一時代を担う選手だった。
その父の教えは、駿佑選手のプレースタイルの随所に受け継がれている
。決して諦めない姿勢。息が上がっても必死でパックを追う一生懸命さ。そして、ゴールを決めた時の笑顔もそうだろう。
2月27日に日光で行われたクレインズのレギュラーリーグの最終戦。そのスタンドに賢司さんの姿があった。
「とにかく、我々としては1試合でも多く会場で、そして釧路で試合を見ていたいんですよ」という賢司さんの表情は、まさしく息子を見守る父親の表情だった。
その後、クレインズはその期待に応えるかのように、釧路での王子イーグルスとの3試合にわたる死闘を制し、デミョンとの釧路でのホーム戦は2連勝をはたし、ファイナルという最高の舞台で釧路に戻ってきた。
残念だが、今日3/10(日)の試合が、日本製紙クレインズとしての歴史上最後のホームゲームとなる。
その事を記者に聞かれると、少し上を見上げてから、記者の方へ向き直り、重野選手はゆっくりと話し始めた。
「第一は『寂しい』ですよね。でも、そこは見せたくないと思っているので…。ウチの親父もそうですし、OBの方々も辛い時期があってもお客さんにはそういう所は見せなかった。強いクレインズを見せたい、という思いが今の一番の気持ちになっています」
十條で日本を代表するセンターフォワードとしてならした父の背中を追って、アイスホッケー選手となったときから「強いクレインズ」を受け継ぐんだ、という思いが重野駿佑選手の原動力となってきた。
「最後、このリンクで勝利を見せて、『クレインズは強かった』と皆さんが覚えていて欲しいです」。
優勝カップをもう一度、父の目の前で掲げるために、まずこの試合の勝利を。
強い決意で重野駿佑選手はリンクへと駆けだしていく。